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SS「先生、あのね」高校生凪と教師蒼

· SS,トーキョーアパートグローリー

※トーキョーアパートグローリー本編とは無関係
※高校生の凪×新米教師の蒼パロディ
※家庭環境の問題で凪がちょっとゆがんでいる時期

「蒼せんせー、黒板消し、ちゃんと上まで届いてねぇよ」
「神谷先生って呼びなさい」
「俺、手伝ってあげようか?」
「人の話はちゃんと聞きなさい」

千代田凪が、女子学生から人気がある意味がわからない。

落ち着いた雰囲気? 眠そうにしているだけだ。
時折見せる強気なところが堪らない? 気分屋なだけだ。
優しくて友達思い? きっと何も考えていないだけだろう。

千代田はへらへらと笑って、背伸びの一つもせず黒板を隅々まで消していった。
俺はそれを眺めながら、眉間に皺を刻むことしかできなかった。
夕暮れの教室で二人だけ。吹奏楽の音が遠く響く。

念願の高校教職についてようやく1年。千代田は俺が副担任を勤めるクラスの生徒だった。
元々こんなに近い距離で語らうような間柄でもないのだが、きっかけは4月。

小柄で馬鹿真面目、上がり症という短所を馬鹿にされ、
たちの悪い生徒から度を過ぎたからかいを受けてた時に、助けてもらった。
きっと千代田にとっては、通りがかりの気まぐれだったに違いない。

それから千代田は、わざと教室に居残って世間話をするようになった。
教師と学生。居心地はいいが、心のすべてをさらけ出すには足りない関係。

それなのに千代田は最近になって、急に距離を詰めてきた。
俺の心の内側にずかずかと上がり込んでくるようになった。

「蒼先生、このあと暇?」
「暇じゃない。仕事中だってば」

にこにこしている視線が、俺を隈なく観察している。
指先の一つでも動かせば、捕まってしまいそうだった。
何だって放課後の教室での休息を、お前に邪魔されなきゃいけないんだ。

「あ、先生、今すげぇ嫌そうな顔した。はやく出てけって思ってるだろ」
「わかってるんなら、そうしろよ。俺だって仕事あるんだから」
「ん、いいよ。仕事してても。俺は気にしないし」

軽い口調で千代田が言う。千代田が気にしなくたって、俺はする。
千代田は頬杖をつき、俺をおちょくるように、またにやにやと笑う。

「千代田のそういうところが、もう……。」
「そういうところが、なに?」
「嫌なんだよ、俺は。」

いっそのこと、思い切って言ってみる。
ここまで嫌悪感を丸出しにすれば、いくら千代田でも堪えるだろう。
しかし彼はまるでダメージを受けていない様子で、まだ口角を上げていた。
溜息を吐く。他人をからかいたいだけなら、悪友の鹿島や岡のところへでも行って欲しい。
どうしてこう、俺みたいな打てども響かない鐘なんかに構うのか。

「お前、そもそも何で居残りしてるんだよ」
「別に。何も」
「何も用ないなら、帰ってください」
「用があるなら、帰らなくてもいいの?」

屁理屈をこねて、千代田は笑う。
俺はむっとしながら、彼を睨みつけた。

「蒼先生、本当にいいよなぁ。ちょうだい」

千代田の右手がそっと伸びる。慈しむような手つきで、頬を摩られた。
予想していなかった行動に、ぞわりと背筋が粟立つ。
先ほどまでにやにや笑うだけだった千代田が、ここに来て急に動いた。

千代田の意図がまるで読めない。
距離を無理に詰めるのは、まだいい。
けれどどうして、千代田の右手は俺に甘く触れているのだろう。

「ほら、ちょうだいってば」
「な、なにを」
「えー、言わすの? それ言わせちゃう?……蒼先生をだよ」

右手で顎をガッと掴まれた。驚きのあまり、思考が停止する。
簡単に唇を奪われた。否、寸前でなんとかかわすことができた。
唇の少し横、頬のあたりに薄い唇が押し当てられる。

たったそれだけの行為に、蹂躙されてしまいそうになった。
ぼうっとしているだけの俺は何の抵抗も反撃もできないまま、ただされるがままだった。
ようやく顔が離れた時、彼の小さな笑い声が降ってきた。

「蒼先生は大人なのに、ビビってんだ」
「ち、よだ……!?」
「ほんと、馬鹿だよな。俺が助けに行かなきゃもっとひどいことされてたかもしれないのに」

千代田は笑っていた。その笑顔はどこか寂しそうだった。
もう一度顔を近づけられそうになったので、必死で押し返した。
馬鹿はどっちだ。こんな、一回りも違う男なんかを抱きしめようとする方が、よっぽどいかれてる。

「蒼先生。俺の名前呼んでよ」
「ち、千代田」
「天然なの?わざと?そっちじゃないって」

優しい右手が、俺の髪を撫でる。
返答に困っていると、千代田がぎゅっと俺を抱きしめた。抵抗する隙もないほど強い力だった。
どうしよう。こんなところ誰かに、見られたら。

「蒼先生は馬鹿だよ。本当に、馬鹿だ」

千代田が嬉しそうに吐き捨てた。

「俺のこと冷たい目で見たって、どんなに嫌い嫌い言ったってさ、説得力ないんだよ。そうやって蒼先生が、頭ゆるい奴らのやることを拒絶しないから。抵抗しないからだよ、蒼先生。優しい?真面目?……だから俺は、蒼先生を馬鹿だって言ってんの。他の奴らに何かされるくらいなら、俺が蒼先生をもらってやるよ」

まだ高校二年生、十代の心底嬉しそうな笑顔が視界に映った。
俺は気が遠くなってしまいそうになる。

嫌いなら抵抗をすればよかったんだ。
情けないなら拒絶を見せればよかったんだ。

俺はどうしてそれをしなかったんだろう。
分からない。馬鹿な俺には分からないよ。

教室のカーテンが夕凪に揺れる。もう逃げ場なんてどこにもなかった。

 

千代田が夜遅くまでアルバイトに励んでいることは知っていた。
だからこそ予想外の電話に、眠りを妨げられた怒りは生まれず、戸惑いだけが輪を広げる。

眠気も飛んだ。無理もない。
何でもなさそうな、最近どう、みたいな口調で「今から出てこれる?」だなんて。
夜二時に、教え子から言われた側の身にもなって欲しいものだ。
でも、断るという選択肢は生まれず、ぶつくさ言いながらも既にベッドから這い出ていた俺がいた。
終話ボタンを押した頃には、上着を羽織り終えたあとだった。
指定場所は近所の公園だった。
外灯が朧気に照らす園内は昼間とは違い、哀しいほどに静かだ。
辺りを見回すが、人気は無い。
ベンチにも千代田の姿は見当たらなかった。
寒い。空気が冷たい。
身震いしながら肩をすくめた。
もっと着込んでくるべきだったと後悔しながら、千代田を探す。
そして見つけた。
入り口付近にもベンチにも居ない訳だ。
彼はひとり、ブランコに揺られていた。
「……誰かに見つかったらどうするんだよ」
近付きながら声をかけると、千代田は顔を上げながら微笑んだ。
「ごめんな。寝てた?」
「悪いと思うなら呼び出すな。っていうか電話番号も、こういうことするために教えたんじゃない」
文句をぶつけながら細い柱に背を預ける。千代田はにこにこ笑っている。何が楽しいんだか。
「蒼先生も座れば」
「どこに」
「ブランコ」
「子供じゃないんだから」
「あ、もしかしてブランコとかで遊んだことない?」
「俺を何だと思ってるんだよ」
千代田は隣の空いたブランコの鎖を掴み、無駄に嬉しげに無駄にゆらゆら揺らしている。
だからなぜそんなに楽しげなんだ。
嬉々とした表情ですすめてくるものだから、仕方なくそのブランコに腰を下ろす。
安定の悪い椅子。居心地が良いわけがない。
「で、何の用?」
「んー?」
「まさか何の用もなく呼びつけたりしないだろ」
俺の隣で千代田は、ゆっくりとブランコをこいでいた。相変わらず読めない生徒だと思う。
日付が変わるまでアルバイトに努めていた人間が、真っ直ぐ家に帰らずに、教師を公園などに誘い出す意図が理解出来ない。
結果、今こうして二人ブランコに揺られている。
なんだよ、このシュールな画は。
「……家族と喧嘩でもしたのか?」
「してねーよ」
「じゃあなんで」
帰らないんだ、と言いかけて口を噤む。
ふと見た隣、千代田が、その目でじっと俺を観察していた。
その目を見返せばいいのか、何なのか、わからなくて思わず逸らす。
軽く地面を蹴った。
錆び付いた鎖がキイキイ音を立てる。
肩で切る風はより一層冷たかった。
吐いた白い息は、すぐ空中に溶けて消える。
「家に帰りたくないから、公園に来たわけじゃないって」
千代田が小さく言った。
「蒼先生に会いたかったからだよ」
囁くような声だった。
踵で地面を抉り、ブレーキをかける。
すぐに視線を千代田に向けた。優しい微笑みと目が合う。
蒼先生に言いたいことがあってさ、と千代田は俺を見た。
「言いたいこと?」
「うん。なんだと思う?」
「金なら貸せないよ」
「借りねーよ!」
千代田が笑う。色気の無い雰囲気だった。
でも自惚れてしまう、そんな自分を許して欲しい。
わざわざ人目を忍んで俺を人気の無い公園なんかに呼び出して、さ。
まるで安いドラマみたいだ。
ここ数日、ずっと考えていた。夕暮れの教室で、千代田が俺に迫った理由を。
温かい手で甘く触れてくれた理由を。
「……じゃあ、なに?」
「うん、あのさ」
「はい」
「俺。蒼先生のこと、さ」
寒さは最早感じなくなっていた。ただ、千代田の次の言葉を急いた。
俺の馬鹿な勘違いで済むならいい。でも、もし、それが自惚れでないのなら、俺は悦びに狂ってしまえるかもしれない。
千代田は、しばらく何かを考えるかのように空を仰いでいた。
「やっぱいいわ」
「……は?」
「やっぱりいい。やめとく」
鼻の頭を掻きながら、千代田は言った。
拍子抜けしてしまう。俺は目を丸くした。
「今日のところはやめとく。ごめん」
「な、なんでお前は、いっつも……!」
「だからごめんって言ってるじゃん」
ゆったりした喋り口調もいつも通りだ。
無駄に心拍数を上げられた俺の気持ちもお構い無しに、千代田は勝手に話を切り上げる。
俺は行き場の無い怒りやら虚脱感やらを無理やり飲み下し、腹に溜め込んだ。
舌打ちも隠しておく。ブランコから立ち上がった。
「どこ行くの、蒼先生」
「帰るんだよ。もう話も終わりだろっ」
「もうちょい居なよー。せっかく二人きりになれたのに」
下唇を突き出しながら言う千代田に、腹の中の感情が溢れ返りそうになる。
なんて勝手な!
会いたかっただの二人きりだの甘い言葉で俺を困惑の渦に巻き込んで、
でも好きだという確信の救いはくれやしない。
教師と学生。絶対に俺からは踏み出せないし、許されない。
だからこそ境界線を超えてくれることにしか、すがれない俺。
ずるいよ。俺たちはふたりともずるい。
「お前に振り回されんのなんか、まっぴらだ!」
「なに怒ってんだよー」
「怒ってない!」
脳内の配線がぐちゃぐちゃに絡まってしまったようだ。
早足で立ち去ろうとすれば、後ろから小さな笑い声が聞こえたものだから、益々感情が波立ってしまう。
振り返る間際、俺の首からマフラーがほどけ落ちる。
見れば、マフラーの端を掴んだ千代田がすぐ側に立っていた。
睨みつけても効果はなく、彼は余裕を盾に笑っていた。
「蒼先生、拗ねるとそんな顔すんだ。かーわいいなー」
「……きらいだ、千代田なんか。大っ嫌いだ!」
千代田の手からマフラーを奪い返し、公園から逃げるようにして出た。
あいつ、知ってる。俺の想いを。
知っててわざと深夜に呼び出して、わざと期待を持たせるような言葉の切り方をしている。
意地が悪い、なんて可愛いものじゃない。
ちくしょう、ちくしょう。
なんて男に惚れ込んでしまったんだ。
それは、後悔しか生まれない夜だった。